設立の経緯とご挨拶

2007_ouji

この写真は2007年5月に門別の牧場で撮影したものです。
父メイセイオペラ、母ミノンタイトルの間に生まれた当歳牡馬。
ツルオカオウジ、生後1カ月の頃です。

私(当会発起人)は岩手競馬で走っていたメイセイオペラの大ファンです。オペラが優勝した1999年のフェブラリーステークスのパドックで一目惚れしました。
中央競馬を見始めて2年、関東の地方競馬は知っているけれど、岩手にも競馬があるの?というレベルの競馬ファンでした。

その後は南関東での出走時には応援に行き、圧倒的な勝ち方をしたレースや、時に大敗する場面も目にしながら、一喜一憂していました。
なんとなく思い立って、盛岡競馬場まで応援に行った2000年8月終わりのみちのく大賞典は圧勝で、さあ、次はどのレースだろうと楽しみにしていた矢先、屈腱炎発症の一報——結果、このレースがラストランとなりました。

同年11月に盛岡競馬場で引退式を行い、たくさんのファンと関係者に送られて、メイセイオペラは北海道・静内のレックススタッドで種牡馬入りしました。
種牡馬になるとわかった時のうれしさは忘れられません。子どもたちを精一杯応援しようと心に決めました。

産駒は地方ではコンスタントに成績をあげ、園田競馬と岩手競馬では重賞を勝つ仔も出ましたが、種付け頭数は初年度をピークに減り続け、メイセイオペラは2006年秋に種牡馬として韓国へ渡ってしまいました。そして二度と日本の土を踏むことなく、韓国でその生涯の幕をおろしました。

ツルオカオウジは、国内で生まれた最後の世代の一頭です。
当歳時は濃いめの鹿毛に見えたこの仔は、519kgの大きな青鹿毛の仔に育ち、2歳の6月に大井競馬場でデビューしました。

デビューから2戦はしんがり、ブービーという結果でしたが、3戦目で初勝利をあげ、翌年8月には3歳重賞の黒潮盃に出走、メイセイオペラの産駒として初めて南関東の重賞を勝ちました。ゴール前、いったん差されたツルオカオウジが差し返してクビ差の決着という手に汗握る攻防を制したこの一戦は、彼のベストレースだったと思います。

このころからパドックにオウジの横断幕を出したり、優勝のお祝いを厩舎に送ったりしていたところ、あるとき調教師の久保與造先生からのご紹介で、オウジの馬主さんにお目にかかる機会を得ました。

その後、オウジが出走するたびに競馬場へいらしていた馬主さんとお会いしてお話ししていく中で、私は思い切ってオウジの将来のことで一つ、お願いをしました。それは、引退後に行方不明にならないようにしてほしいということです。

そして、オウジが長期休養中にお世話になったホースマンの方に帯広畜産大学の馬術部とのご縁を繋いでいただき、2015年7月のレースを最後に引退したオウジは、帯広で乗馬を目指して新たな生活のスタートを切りました。
しかし引退の要因ともなった脚の状態から、障害馬になるには厳しいという判断を下され、障害を跳べる馬が欲しい馬術部側の要望に沿えないため、退厩することになったのです。

障害がだめでも平地ならどうかと、道内の乗馬クラブで様子を見てもらいましたが、平地でも厳しいと言われてしまい…

乗馬の道はあきらめるしかない。そう考えた時、もう行き先は養老牧場しか思いつきませんでした。ここで手を離すことはできなかったのです。

オウジは北海道の養老牧場に入り(その後、茨城県の霞ヶ浦ライディングファームに移動)、私はオウジのサポート会立ち上げをNPO法人引退馬協会に相談し、2016年4月、ツルオカオウジの会がスタートしました。

父のメイセイオペラはその3カ月後、7月1日に永遠の眠りにつきました。22歳。お別れはまだまだ先だと思っていたのに…。

オウジにはもっともっと長生きしてほしいと思います。

生涯、安心して生きていけるように。天寿をまっとうできるように。
どうぞ一緒にオウジを見守り、支えていく仲間になってください。

 

ツルオカオウジの会 発起人
梶原晴美